2026.3.11 2月定例県議会一般質問
7、ひとり一人に合った学びの実現など教育の充実について
続いて教育長にひとり一人にあった学びの実現など教育の充実について伺います。
教員の児童・生徒に向き合う時間の十分な確保を図り、児童・生徒ひとり一人へのきめ細かな指導を進めるため義務教育にあっては 30 人以下の学級編成に移行することが重要と考えますが今後の取り組み状況について伺います。
2つ目、不登校やいじめといった課題の解決には校長等管理職のマネジメント能力の向上やスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの配置拡充、市町教育委員会との連携による支援の輪づくりが必要と考えますが、現状を伺います。
また困難を抱える児童・生徒やその保護者に寄り添った政策をどのように展開していくのか伺います。
3つ目です。教育の分野でもウェルビーイングという言葉をよく耳にするように
なりましたが、そもそも教育におけるウェルビーイングとはどういったものを目指すものなのか、またその概念をどのように児童や保護者に浸透させていくのか? 伺います。
4つ目です。ICT教育を先行的に導入した海外の「デジタル教育先進国」のほとんどでは、子どもの学力低下と心身の健康不調が顕在化し、見直しの動きが相次いでいます。
報道でも、「(「教育先進国」では)見直しの動きが相次ぐ。反対に日本は、学校教育の根幹にある教科書を、紙からデジタルに置き換えようと突き進む。文部科学省が主導する推進議論の危うさ」(読売新聞2025.3/18)。「学力に及ぼす影響を厳密に検証すべきだ。不安を抱えたまま、デジタル化を急ぐことには反対である」(産経新聞2025.9/27)。――など、極めて慎重な意見が見られます。
デジタル化には保護者と自治体における費用負担の問題もあり、学力低下の問題も無視はできません。また、心身の健康への影響もあります。現に、全国の『学校健康診断結果』においても裸眼視力が1.0未満の子どもが増えています。すでに十数年前から日本眼科医会では、デジタル環境下の「子どものIT眼症」として、視力低下を招くドライアイや眼精疲労になりやすく、心身への負の影響があるとしていました。
文部科学省の『学校環境衛生基準』は、特に子どもの健康保護のための学校環境の基準ですが、ICT教育が学校現場で推進されてからも、それに伴う十分な改正がなされていません。
先ず、学校での健康診断における視力低下の実態を伺います。その上で、国に、ICT教育推進のみではなく、全国的な実態調査や『学校環境衛生基準』の改正を含めて検討し直すよう求めるべきと考えますが、いかがですか?教育長の見解を伺います
副教育長答弁・・・
ひとり一人に合った学びの実現など教育の充実についての数点のお尋ねにお答えします。
まず、義務教育の30人以下の学級編成への移行についてです。
国の財源措置が図られない中、県の独自財源で進めることは困難ですが、研修会や学校訪問を通じて授業改善を支援するなど、市町教委と連携しながら、引き続き、きめ細かな指導の充実に取り組んでまいります。
次に、不登校やいじめといった課題の解決についての現状です。
管理職のマネジメント能力の向上に向けては、校長などを対象として、いじめなどの生徒指導に関する研修を、毎年実施しています。
また、児童生徒がいつでも相談でき、早期の支援につながるよう、スクールカウンセラーや、スクールソーシャルワーカーの配置時間の拡充に努めるとともに、県・市町教委による協議会を毎年開催し、支援方策を共有するなど、市町教委との連携を図っています。
また、困難を抱える児童生徒やその保護者に対しては、スクールカウンセラー等の専門家による相談支援を行うとともに、電話による24時間の相談窓口を設置するなど、寄り添いながら取組を進めているところです。
次に、教育におけるウェルビーイングについてです。
ウェルビーイングは、身体的・精神的・社会的に良い状態にあるという概念であり、教育においては、学校と家庭・地域が連携して、子どもたちの自己肯定感や社会貢献意識などを、バランスよく育むことが、ウェルビーイングの向上に繋がるものと考えています。
また、教育振興基本計画に沿った取組を進めることで、その考え方が、子どもや保護者に浸透していくものと考えています。
次に、学校での健康診断における視力低下の実態についてです。
全国における裸眼視力が1.0未満の児童生徒の割合は、調査開始の昭和54年から増加傾向にあり、本県においても同様となっています。
次に、ICT教育推進だけでなく、全国的な実態調査や、学校環境衛生基準の改正を含めて検討し直すよう、国に求めるべきとのお尋ねですが、国では、児童生徒の近視の実態調査を実施し、これを踏まえて、目の健康に係る啓発資料等を作成しており、今後も、随時、最新の科学的知見についての情報提供を行うとしていることから、国に求めることは考えていません。